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本当に長い一年間だった。ジャムのいない淋しさから一日も逃れられなかったからこそ、長く長く感じられる一年となったのだろう。朝六時には起きてジャムの骨壷の前でお線香に火をつけて声をかける。
「ジャム、おはよう。今日も一日、よろしく頼むね。」
と話し続けてきた。選挙区の福岡県久留米市に泊まるとき以外は、一日も欠かさず、
「ジャム、おはよう」
と話しかけてきた。
ジャムは状況察知力にすぐれていたから、私がワイシャツを着始めると、
「チェッ、出かけちゃうのか」
と、ひどくふてくされ、トボトボと玄関から台所に戻ってしまうのだった。そして私は、いつも同じ台詞をジャムの背中に向けて言う習慣だった。
「ジャム、行ってくるよ。すぐ帰って来るからね。」
その言葉でジャムは完全に諦めてくれた。ワイシャツでなくジャージを着たりしたら大変だ。どこか遊びに連れて行ってもらうと思い、飛びついてきて離れない。
困るのは年に二、三度、釣りや蝶の研究で海や山に出かけるとき。釣りも山歩きも私はジャージを着る。それではジャムが大騒ぎするので、私はワイシャツに背広姿で車に乗り込み、車の中でジャージに着替えねばならなかったのである。
ジャムが死んでからこの一年、二度ほど海釣りに行った。そんなとき、ワイシャツや背広を着て出かけなくてもいいとわかって、かえって、すごく悲しくなった。そう、ジャムはもういないんだっけ。
晩年のジャムは階段の昇り降りを全くできなかったので、私はいつもジャムを抱いて二階へ行き、ジャムを抱いて下に降りていた。その習慣が完全に身に付いていたものだから、ジャムが死んで三ヶ月位は、二階へ行くとき
「ジャムは?、ああ、いないんだ」
と必らず思い、二階から下へ降りるときも同様だった。手ぶらで階段を昇り降りするなんて想像できなかったのである。この三月七日、ジャムは一周忌を迎える。家族、秘書、どうぶつ議連の代議士仲間、みんなでジャムを語り合おうと思う。
悲しくなるけれど・・・。
(この原稿は文京動物愛護協会平成19年4月1日発行予定「動物と住む街」に寄稿したものです)