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私が生まれたころ、音羽の家には祖父の愛犬のシェパードが二頭おり、ともに私より年長であったと記憶する。そのうちドリアンと呼ばれていたオスは二つの特技を持っていた。一つは食堂へ入る扉が閉じられているとき、そのノブをくわえてまわし、入室できる能力であり、もう一つは祖父の帰宅の予知というべきか、当時の家人の話によれば、国会方面から帰ってくる祖父の車が江戸川橋を渡ると急に吠え始める点であった。祖父は日ソ交渉の際、おそらく一ヶ月は家を留守にしていたから、ドリアンは一度も吠えることなくすごし、久方ぶりの帰宅にあたってきちんと吠え始めたというからたいしたものだ。遠くのエンジン音の聞き分けによるものか、それとも予知能力なのか知るよしもないが・・・・。
それに比べれば我が家のジャム(ポメラニアン・オス・二才)には何の特技もない。寝るときは私のベッドの上、それもほとんど私の枕の脇で、だいたい一つか二つ、お菓子やせんべいを宝物として近くに隠している。私が寝返りをうって宝物の附近に手がいくと、猛然とかみついてきて、きわめて頻繁に私の手からは血が吹き出す。大臣在任中に鼻の横を咬まれて翌日の委員会でごまかすのに一苦労したこともある。しかしこれはゲームなのである。私がベッドで本を読み、ジャムの宝物に一切関心を示さぬと不満がつのり、わざわざ宝物をくわえてきて私の顔や手にのっけたりする。さあ、早く取ってみろよ、と言わんばかりだ。ご要望にこたえて宝物を奪おうとすると私とジャムの一大合戦が始まる。そしてまた手に血がにじんでいく。
毎晩のように、こんな馬鹿なことのくり返しを続けている。“イヌッカワイガリ”という言葉はないが、まさに“ネコッカワイガリ”の結果が、わがままし放題のジャムを形作ってきた。これこそ教育、あるいは無教育の成果だと思う。
ジャムは私が背広に着替えると、急に元気がなくなりソファーの上でふて寝する。逆にジャージを着れば庭で遊べると思って飛びついてきて離れない。
犬のりこう、ばかの判断ほどむずかしいものはあるまい。ノブを回すのは一般受けする話ではあっても、宝物争奪戦を仕かけてくるのも一種の“りこう”ではないかと思う。
犬の人間に対する有用性の判断も困難だ。たしかにジャムは役に立つことは何一つしようとせず、室内をよごすばかりではある。しかしジャムのために家族がいかに明るくなっているか、その貢献は測りしれぬものがある。羊を追わずとも犬は人間にとって、最高に有用な存在たりうるのだと思う。
(この原稿は文京愛犬家協会平成5年3月10日「とおぼえ」に寄稿したものです)