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みなさまもご存知かと思うが、私の父・威一郎は非常に口数の少ないタイプで、参議院の自室で丸二日間、秘書さんたちに一言も言葉を発しなかったという珍記録さえ残している。そんな父であるから、大蔵省の役人時代、夜遅く帰宅しても、仕事についてはもちろん、家族のことなども話そうとしないし尋ねもしない。兄や私と父とのコミュニケーション量は、ひどく少ないものであった。
ところが愛犬には、しきりと話しかけるのである。そのころ家にはコッカースパニエルがいたのだが、私たちには全く話しかけようともしない父が、「今日は元気だったか」とか「おなかは空いていないか」とか言い、ゆっくり食事をしながら、少しずつおかずを分け与えつつ「おいしいか」とか「もっと食べたいか」とか言い続けている。当然、犬の方は返事しないから、いわば父の独演会が延々と続くのである。
そんな父を奇異な感じで受けとめていた私であったのだが、フト気が付いてみると、最近の私は、かなりのスピードで父に似てきたようである。父の寡黙型に対し、私は典型的な饒舌型だ。だから女房や子供と会話をかわさないわけではない。だが、子どもが小、中学生のころは、いろいろと遊んでやる必要があったものの、三人の年齢が21、18、17ともなると、みんな自室で自分の趣味や友人との電話に専念し、よほどこちらから呼びかけぬと答えてくれなくなる。よって私の話し相手はジャムだけになってきた。女房には体調や機嫌というものがあるが、ジャムだけは、いつも最高の笑顔(私にはジャムの表情が良くわかるのだ)と、ちぎれそうに振る尾をもって私の帰宅を歓迎してくれる。抱き上げて台所へ行き、私が夜食を作って食べ、一部をジャムに与える。しばらくし風呂へ入る。ジャムはドアの所で待っている。そして一緒に寝床へ行く。ジャムの定位置は、私の枕の左側と決まっている。私の言語の、そう90%はジャムを相手にしたものなのだろう。
三年前、ドロボーに折られた足が悪化して、昨年ジャムは二度の手術に耐え、最近やっと両足で立ち上ることができるようになった。ジャムの入院期間は二回合わせて三ヶ月以上にもなった。その間、私は家に帰っても話し相手がいなかったし、入院に耐えているジャムを思うといつも涙が出てしまい、自分でもおかしい位に元気がなかった。二年前に亡くなった父の気持ちが、今わかる。
(この原稿は文京動物愛護協会平成8年3月10日「動物と住む街」に寄稿したものです)